は己の置かれた立場をすぐには理解が出来なかった。

空には月、背には崖、前にも崖、その下には小田原城。

どうしてこんな所にいるのか分からない。

手の中にあったはずのカメラも手荷物も見当たらない。


崖の中腹にいるからだろうか、随分と月が大きく見える。

その理由が高さではなく、周囲の暗さから来るものだと気付いたのは小田原城を見つめた時だった。

灯りがないのだ。

見慣れた蛍光灯の、ネオンの灯りがどこにも見えない。

まるで文明が滅びてしまったかのような暗闇。

空を支配するかのような大きな月。





はがくがくと腰が抜けそうになりながら、小屋に戻った。

今ある手がかりはあの奇妙な男だけだ。

今度こそ殺されるかもしれないが、それでも戻る以外何も浮かばない。

小屋の中には先ほどまで寝ていた男が布団の上に鎮座していた。

両脇に二本ある小さな蝋燭の火が男の顔を橙に照らしている。







「此処は・・・・どこですか・・・・?」

「・・・・・・・・」

「貴方は誰・・・・・!?」

「・・・・・・・・」







震える喉を、体を、懸命に押さえ込んで声を出した。

だが掠れた声は届かないのか、男はため息一つついて、布団の上に寝転んでしまった。

その姿に呆然とし、気力が切れたのかどさりと床の上に身体が落ちた。

恐らく腰が抜けたのだろう、もうきっと動くことがないじゃないかと思うほど、身体の力が抜けてしまった。

男の傍に行くべきか迷った。

けれど男の枕元に置かれた刀が、最後の気力さえ削ぎ落としてしまった。

きっと本物なのだろう、傍に行けば確実殺される。

兜がなくても、男の顔は長い前髪で隠され見えなかった。

だがその雰囲気が語っていた、お前には興味がないと。



眠ることも、立ち上がることも出来ず、ただ思考が恐怖に染まっていくのを感じていた。




















風魔は女が座り込んだまま身動き一つしないことに不審を感じ、目を開いた。

女の頬は涙で濡れている。けれど声を上げない。

恐怖で動けないのだろうと容易に悟ったが、だからと言って慰める義理などなかった。

本当にこの女をどうすればいいのか見当がつかない。

飯炊き女などいらぬし、遊郭に売るには年を取り過ぎている。

玩具にするにも風魔は性欲というものが皆無で、女を抱きたいと思ったことがない。

それは男として問題があるのだろうが、不能なわけではないのだ。

ただ、女、というよりも人間そのものに興味がなく、他人と体を交えようなどと思わない。

風魔は人として自分が欠落していることを知っている。

喜・怒・哀・楽、恐怖でさえ風魔は持ち合わせてはいない。

唯一持っている人らしい感情は殺意だけだろう。

だがそれで構わない。

忍とは人ではないのだから。














再び目を閉じる。

忍の習性か、熟睡することがない風魔には女の小さな息遣いすら耳障りに聞こえる。

己以外がこの空間に存在することに違和感を感じ、いっそ外に放り出そうかと考える。

けれど夏とはいえ崖の上は地上よりも気温が低い。

氏政に報告する際に女が病に掛かっていては何かと都合が悪い。

風魔は体を起こし、女の横を通り過ぎようとした。

己が此処を出た方が良い、そう判断したのだ。

だが身動き一つしなかった女の手がふと風魔の足元に伸びたのを感じ、風魔はとっさにその手を掴んだ。








「・・・・・・・・・・」







微かだが殺気を出す。

だが女は掴まれた手を見つめるだけで身じろぎ一つしなかった。

目は焦点が合わず、呆けたままだ。息だけが少し荒い。

この手は無意識だったのだろう、風魔は女の手を放した。

だが女は再び風魔の手に向かって手を伸ばしてきた。

互いの手が合わさる。女の手は涙のためか、しっとりと濡れていた。

女の口がわずかだが動いた。








『たすけて』









声にはならなかったようだが、読唇術を心得ている風魔はそう読んだ。

やはり氏政の読み通り、この女はただの迷い人なのだろう。

だから、どうだというのか。

風魔にはこの女を家へ帰しやる義理も義務もない。

このことを氏政に報告すれば、他の忍か部下が女を連れて行くだろう。

こうなったら早々と女を氏政の元へ連れて行くが得策。

風魔はそのまま女を抱き上げ、崖を下った。







女の体温が己の肌に重なる、得たことの無い感覚に心地悪さを感じながら。