北条氏政は一人、先ほどまでの出来事を反芻していた。 丑の刻、眠れぬ身体を少し冷やそうと庭先に座り込んでいた氏政の前に現れたのは武田信玄の忠臣と忍隊隊長だった。 驚嘆するほどまっすくな瞳でこちらを射抜く青年。 まさに裏表のない、こんな部下がいたらどれほど心強かったか、そう思わずにいられないほど潔い炎をその魂に宿した真田幸村。 影の属性ながら確実にその瞳に光を宿す忍。 個を持たないはずの草の者でありながら、強烈なほどの意思を持ち主張する猿飛佐助、その姿は先代風魔を思わせた。 破れた忍装束からは血の匂いがする。風魔と戦いながらもしっかりとした面持ちに相当の実力と知れる。 本来他国の忍と口を利くなど考えられないことでありながらも、同席を許したのは真田幸村の実直な申し出と猿飛に先代風魔の面影を見たからに他ならない。 その二人の口から飛び出したのは、他ならぬのことだった。 何故、の存在をこの二人が知り得たのか。 目の前に忍がいる以上愚問であろう。 それよりも問題は風魔にあった。そしてそれは己自身の責でもあった。 武田との同盟、決裂すれば死さえ在り得たこの状況で、拾った娘のことを半ば忘れていた氏政を誰も責めるまい。 氏政には護らなければならないものが山ほどあった。そしてその全ては己の度量を遥かに超える重いものだった。 武田軍という風が吹き荒れる中で、塵一つが手のひらから滑り落ちても気付かない、否、気付けない。 だがそれでもやはり責は己にある。 風魔に勝手に期待をしを預け、そしてまたに期待し風魔を委ねた。 その結果、を傷つける結果となった。 本来なんの関係もない武田の青年二人が、こうして訴えてくるのだからその様は氏政が思う以上に酷いに違いない。 「あの女人は罪人でござりますか」 「否」 「では捕虜にございますか」 「否」 「ならば風魔の情人でござろうか」 「・・・・・・・否、」 「ならばなぜ!崖の上などに捕えられているのですか!!」 「旦那!」 激昂する真田幸村の言葉に、氏政はただただ俯くしかなかった。 真田を止めた猿飛の目にも憤怒の炎が宿っている。 何を言葉として伝えれば、理解が得られるのか。 からからに喉が渇いて舌が張り付き、氏政は咳払いを繰り返す。 けれどそれは喉の渇きを更に酷くするだけのものだった。 風魔に人の心を学ばせたかった。 会ったばかりの途方に暮れた娘に行き場所を与えた。 風魔に先代のように戦力としてだけでなく、心の支えとなって欲しかった。 一見風魔と娘の為と思いながら、実として己の為であった。 そしてその自己中心的な我儘を叶える為に一人の娘を生贄とした。 どんな言葉を用いてでもそれが事実、真実ゆえの残酷さ。 氏政はどれだけ己が矮小であるか知っている。 だがこれほどまでに己の利己主義を痛感させられたことはない。 「時間をくれぬか」 何が最良かと問われれば、風魔とを引き離す以外にない。 だがそれを口に出来ぬのはあの二人を引き離すことにまだ未練があったからだろう。 「あと一日、時間をくれ」 そんな猶予はない、物言わぬ二人の青年の瞳は氏政にそう訴えていた。 だが氏政は視線をずらし、気付かぬふりをした。 目先を少し上げれば煌々と輝く満月に雲が微かに掛かっている。 「あと、一日・・・・・」 氏政の懇願に、真田と猿飛は頷き風と共に姿を消した。 納得してはいないだろう。ただ己の立場を弁え、氏政の面を立てたにすぎない。 だが氏政は知らなかった。 知るはずもなかった。 己が申し出た一日の猶予が、 風魔とにとって、決定的な一日になることに。 |