陽の眩しさで目が覚めた。

身体のそこら中が気だるさを纏っている。

起き上がろうと右手に体重を掛けた瞬間、手首に痛みが走った。

そうだ、昨日、

慌てて周囲を見回すけれど目の見える範囲には誰もいなくて。

乱れた寝着を整えてそっと外へ出てみる。

太陽の位置は頭の真上、どうやら相当寝過したらしかった。









裸足のまま、草の上を歩いて行く。

崖の下にある小田原城はこの位置からだと瓦の部分しか見えない。

多分、風魔は城で仕事をしているのだろう。

一人ではこの崖から下りることすら出来ないのだから帰りを待つしかない。

このまま風魔と暮らすにしても、この崖にまるで人質のように住むのでは対等な関係は築けない、それをどうにかして風魔に伝えなくてはいけない。

逃げるつもりも裏切るつもりもないのだと、どうすれば伝えられるかそれはとても難しいことだけれど。







草の上に腰を掛けて、小田原の風景を眺めた。

飛行機もないこの時代、こんな風に上から景色を見下ろすことが出来る人間はきっと少ないに違いない。

あまり視力はよくないけれど、薄く眼を凝らせば遠くに城下町らしき塀が見える。

きっとあそこは自分の知っている土地で言うと、小田原の駅にあたる所だ。

町や人は違うけれど、山や川や、景色はきっとずっと変わっていない。







「こんなに綺麗だったんだ・・・・・」







初めてこの景色を見た時は、暗闇の中に光がないことにただ怯えていた。

けれど平常心を保って見つめれば、景色を遮るビルがないこの景観は素晴らしいものだ。





「写真撮りたいなー」





そう呟いたところで、気づいた。






「私、荷物、無い」








馬鹿みたいに単語を呟く。

そうだ、どうして、あんなに大切なカメラがないことに気付かなかったんだろう。

確かにカメラどころじゃなかったけれど。

多分風魔がその行方を知っているに違いない。













どうしよう。

急に気持ちがそわそわし出した。

落ち着いて座っていられなくて、立ち上がって行ったり来たりを繰り返す。

風魔はいつ帰ってくるか、果たして今日中に此処に戻ってくるのかも分らない。








「もう!忍なら笛とか呼び鈴とかで飛んで来ないかな!って漫画じゃあるまいし・・・・」

「なにお姉さん、忍と一緒に暮らしてるの?」

「一緒にっていうかこっちも色々あって・・・・・・・・え?」











独り言に、割り込んできた声に、一瞬止まってすぐに周りを見渡す。

どう考えたって今の喋り方は風魔じゃない。

けれどどんなに目を凝らしても視界に変化はない。








「だ、誰!?小田原の人?」

「うーん、当たらずも遠からずってとこかな?」

「忍なの?一体何所に―――――」

「そんなに怖がらないでよ。参ったねこりゃ」









最後に恐怖で語尾が震えたのを察してか、目の前にオレンジ色がサッと舞い降りた。

目の前にふいに吹いた風に驚き、思わず尻もちをつく。

瞬間、また手首が痛んで眉を顰めた。

風と共に現れたのはへらへらと笑った物腰の柔らかそうな男。






「ありゃ?怪我してんの?」

「い、いえ――――」

「・・・・その怪我、誰かに掴まれたって感じだな」






身体に迷彩を纏っている男の声が、突然低くなり思わず後ずさる。

男は私の顔を見て、またすぐにへらりと笑った。






「これ塗っときなよ、薬。忍特製ってやつさ。よく効くぜ?」

「あ、ありがとう・・・・・」






放り投げられた貝がらが弧を描いて私の胸元に落ちてきた。

反射的に手を出すと、吸い寄せられるように貝が手のひらにすとんと落ちる。

貝を開くと、緑色をした軟膏のような物が見えた。










「で?見た所お姉さん一人だけみたいだけど、ここに住んでるの?」

「・・・・・・まぁ、」

「でも一人じゃ崖から下りれないよねぇ。どうみたって罪人って感じじゃないし」

「あ、あなたこそ!どうやって此処に来れたの!?」

「やだなぁ、忍だからに決まってんでしょーが。俺様こう見えてもすごいのよ?」






ひらひらと手を振って笑う。

顔には何かペイントがしてあって、迷彩服なのもあってかどちらかと現代人っぽい。

ここでは忍というのは皆顔にペイントをするのだろうか?

ふと風魔の紅いペイントを思い出した。







「やだなぁ、そんなに見つめないでよ。俺様照れちゃう」

「ご、ごめんなさい――――」

「で?お姉さんはなんなの?人質?」

「いえ、そういうわけじゃぁーーー」







ここできっとお城に連れて行ってと頼んだらこの人は連れて行ってくれるような気がした。

けれどそれで風魔に会えるとは限らない。

もし会えずに風魔が先に此処に戻ってきてしまったら、逃げ出したと思うからもしれない。

信頼関係を築いたと言える状態ではない今、誤解を招くような行動は避けたかった。







「なんなら俺様が下に連れてってあげるけど?」

「いえ、大丈夫です」

「え?いいの、本当に?」

「はい」




連れてってくれと言うと思っていたのか男は眼を丸くした。

しばらく何かを考えるように空を仰いで、こちらを見る。






「まぁ・・・気が変わったら呼んでよ。これあげるからさ」





そう言って、差し出されたのは小さな竹筒のようなもの。





「これ・・・・?」

「さっき言ってたじゃん。忍なら笛とか呼び鈴でも―――ってさ」

「き、聞いて・・・!!!」

「ははっ、バッチリね。で、これ笛でさ、人間には聞こえない特殊な音が出るんだ。
これで俺様の飼ってる鳥が呼べる。これで俺様と連絡取れるからさ、
まぁ・・・・・困ったら呼んでよ。俺様張り切って飛んできちゃうからさ」


「え?え?でも、なんで・・・・・」





どうして会ったばかりなのにそこまでしてくれるんだろう。

もしかして罠じゃないだろうか。

それとも崖の上に女一人、その状況に尋常でないものを感じて同情してくれたのだろうか。




「ま、袖触れ合うも多生の縁ってね。忍相手に遠慮は無用!ささ、どーぞ」







そう言って男は私の手に笛を握らせた。

男を見上げた瞬間、強い風が木の葉と共に舞う。

瞬きする暇もなく、男はあっという間に姿を消してしまった。













「ああいう忍もいるんだ・・・・・・」















驚きと人と触れ合った嬉しさに笛と貝を握りしめる。

けれど風魔はこれを知ったらあまりよく思わないかもしれない。

そう思い、考えた末に小屋の外に無造作に転がっていた樽の一つの中に隠すことにした。

丁寧に千切ったシャツの切れ端で包み、そっと樽の中に置く。

薬はほんの少し匂わない程度に手首の痣の部分に縫ってみた。
























その日風魔はとうとう帰って来なかった。

小屋に一つしかない布団の中に身を縮めているとすぐに睡魔が襲ってきた。

風魔の布団に勝手に寝るのは少し躊躇したけれど、冷たい床では寝れる気がしない。

怒られたら謝ればいいと自分に言い聞かせて睡魔に身を任せる。

自分でも気付かない内には眠りに落ちていた。



















小屋一帯に見知らぬ人間の気配が残っていることに風魔はすぐに気づいた。

素早く寝ているの横に降り立ち、鼻を近づける。

からは忍が使う薬草の匂いがした。風魔一党が使うものではない。










(・・・・・・・・・・・・)










風魔は眠っているの身体を抱き上げ、崖から飛び降りた。

その晩、月は姿を見せなかった。