「ばれんたいん」




伊佐間はまるで幼子が初めて言葉を教わったかのように拙い言葉を呟いた。


「知ってる?今川君」

「いいえ、僕も知らないのです」


そんな伊佐間の視線を受けながら、今川も首を傾げる。



「「ばれんたいん」」



二人揃って棒読みで発音されるとまるでおかしな宗教の呪文のように聞こえた。









かけがえのない貴方に












二月十四日、聖バレンタイン。

それは女性が想いを寄せる男性にチョコレイトをあげる日であって、決してキリシタンの行事ではない。

ごく最近日本に入ってきた行事であるらしく、詳細はもよくは知らなかった。

第一チョコレイトなんて高級品、ほいほい人にあげるような行事が一般市民に浸透するはずもなく、

そんなんだったら、自分で食うわ阿呆ゥー、と世の女性達が叫んだかどうかは定かではないが。

ともかくそれは上流階級の人間の間だけで流行し、一般市民であるの情報源はもちろん榎木津探偵である。






「なんか榎木津さんにせがまれちゃって」





は頼まれごとで薔薇十字探偵社を訪れた際、敷地内に入って一歩目でそう言われたのだ。





ちゃん、僕にチョコレイトを渡したまえ!!」

「―――――は?」

「歯ではない!チョコだ!!あの甘い茶色い固形物質だ!!」

「食べたい・・・んですか?」





いつもながら奇天烈な探偵は、が来る前に暴れていたのか―――妙に事務所が散乱していた。

それをせっせと片付ける和寅と益田の両名は、榎木津と目を合わせないよう俯いている。

そうするととも自然に視線合わないわけで、薄情者!と睨んでみるけれど効果は無い。



「バレンタインだ!愛の行事だ!!」

「――――はぁ・・・・」




そうして切々と、おそらくは榎木津探偵自身も誰かから聞いたのだろう『バレンタイン』について語った。

気づいた時にはソファーにまで座らされて、危うく何をしにきたのか忘れるところだった。







「そりゃあ、すごかったろうねぇ・・・・」




榎木津の奇行ぶりを誰よりもよく知っている元部下の二人は揃って人の良い苦笑いをした。

すごかったんですよ、と炬燵に顔を埋めながら拗ねてみると、よしよしと伊佐間が頭を撫でてくれる。

久しぶりに訪れた釣堀屋は居心地が良くて偶然居合わせた今川と三人、のんびりと炬燵の中でお茶の時間。

そんな中で思い出したように語った『バレンタイン』の話はどうやら二人とも面白かったようだ。







「それであげるの?」

「へ?」

「ちょこれいと」

「ああ、いえ、あれは恋人同士のイベントみたいですし・・・」

「そうなのですか」

「うん、まぁお世話になっている人にもあげてもいいみたいですけど・・・・あ!」




何か思いついたようにパチンと胸の前で手を打ったに二人は揃って首を傾げた。


「じゃあ、今日は私が何か作りましょうか。伊佐間さんと今川さんに」

そう言ってふわりと笑う

「いいの?」

「はい!何が食べたいですか?」

「鍋なんてどうですか?今日は寒いのです」


今川が窓の外を見ながらそう言った。伊佐間もうん、と頷く。


「いいね、鍋」

「でも、それじゃいつもと変わりませんよ?」

「いいのです。さんが僕達の為に作ってくれるだけで」

「そうそう」

「じゃあ頑張って作りますね!!」


二人の言葉に、は炬燵から立ち上がり腕まくりをして見せた。

張り切って台所へ向かうに二人は顔を見合わせてこっそりと笑う。





「もうすぐ春だねぇ」

「そうですね、春なのです」

「鍋、楽しみだね」

「きっととても美味しいのです」







大切な人が自分の為に何かしてくれようとする、その気持ちが嬉しいから。

ばれんたいん、なんて西洋の行事もいいものかもしれない。






台所から漂う美味しそうな匂いに、二人は照れくさそうに炬燵に顔を埋めた。















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バレンタインに今川と伊佐間を書くのは、うちくらいだろうな(笑)
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